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フランスの古い絵本   -  私の祈り /  ジャンヌ・エブリンク  -_b0427959_15455315.png


  祈りの姿を美しいと思う。

  誰に祈っているのか、何のために祈っているのか...その姿から窺い知ることは出来ないが、世界中の全ての国や地域の老若男女が祈りを捧げる姿を、美しいと私は思う。人は生きるために様々な鎧を身に着けるが、祈りの時だけは、そうした一切の鎧を脱ぎ捨てるものだと思うからである。

  Jeanne Eebbelynck (ジャンヌ・エブリンク 1891-1959 )の「私の祈り」というタイトルの小さな絵本に出会ったのは、もう20年以上も前のことだ。当時、母親といくつも歳の違わない友人のエリーに会いに、私は頻繁にパリとブリュッセルの間を行き来していた。その年のクリスマスの休暇をエリーと過ごしていた私は、彼女と一緒にサン・ミッシエル大聖堂を訪ねた後に立ち寄った市内の古書店で、この本を買い求めたのである。やや色あせた表紙の、膝をついて祈りを捧げる少女の一途な姿に魅了された。少女は、もう何時間もそこで祈り続けているように、私には思えた。本を開くと、冒頭の「聖父と聖子と聖霊との御名によりて。アーメン」から始まり、16の最も代表的な聖書の中の祈りの言葉に、美しい挿絵が添えられている。私を惹きつけた表紙の少女の絵には、「私たちへの罪を犯した者たちを許します。私たちが犯した罪もまたお許しください」という言葉がある。

  ジャンヌ・エブリンクは、1891年にフランドル地方 (現ベルギーのヘント周辺)で生まれた画家である。最初は、主に細密画の制作で知られており、ヘントの美術館にはエブリンクの細密画による祭壇が保存されている。フランドル地方の風景画や人物画も残されているが、そのほとんどは現在も個人蔵であり、実際に作品を見る機会はごく限られている。唯一、エブリンクの絵を堪能できるのが絵本で、画家は戦前から戦後にかけて、カトリックの絵本の出版で知られた、パリの Descléé de Brouwer 社 (デクレ・ド・ブルウエル )社の本の挿絵を多く手がけた。エブリンクの絵の特徴は、まず何と言っても、絵本に登場する子供達や天使のあどけない無垢な表情と仕草である。さらに、画家がもともと細密画を専門にしていたこともあり、中世のカトリック教会で、修道僧たちによって作られていた彩色写本( ミニアチュール )に見られる、優美な装飾画のスタイルを思い起こさせるものもある。金彩が多いのも、ミニアチュールの影響だと思われる。色使いは比較的鮮やかだが、エブリンクのやさしい線で囲まれた色は主張することなく、全体は穏やかな雰囲気に包まれている。冬のフランドル地方の景色を彷彿とさせる絵には、エブリンクの個性のひとつでもある独特の青緑色が使われることが多い。



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  ブリュッセル市内の古書店で、エブリンクの「私の祈り」を手に取った私を見るや、エリーが嬉しそうに声をあげたのを覚えている。

  「まあ ! エブリンク ! 彼女を知っているの ? 」

  「知らなかったけれど、この本にはとても惹かれるの。私はカトリックの信者ではないのにね。この少女を見ていると、お祈りをする幼い日の自分の姿でもあるような気がするし、どんな大人の中にもあるはずの、人間の原点みたいなものも感じるわ。」

  その夜、夕食後にサロンの暖炉の前でくつろいでいた私に、エリーは半地下にある図書室のいちばん奥に置かれたキャビネットを開いて、エブリンクの絵本のコレクションを見せてくれたのだった。パリの古書店や古書市でも、それまで一度もエブリンクの絵本を見たことがなかった私は、エリーの蒐集してきた本の数と美しさに夢中になった。ラテン語を専門にする学者の父親と図書館の司書だった母親は、一人娘のエリーが幼い頃から、彼女の部屋を絵本で満たしたのだという。その一人娘もまた、ベルギーの王立図書館の学芸員を勤めながら、ヨーロッパの古い製本を研究する第一人者となって、本に埋もれる暮らしをしていた。両親から引き継いだのは本への愛情や知識だけではなく、エリーは信仰心の厚い、敬虔なカトリック教徒でもあった。日曜日の朝には必ず大聖堂のミサに参加し、枕もとに掛けたシュヴェ( 聖水盤 )に指を浸してお祈りをしてからベッドに入るエリーにとって、幼い頃にカトリックの教えを学ぶ楽しみの一つが、美しいエブリンクの絵本だったと語ってくれた。


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  ジャンヌ・エブリンクの名前は、古い絵本のコレクターを除いては、フランスでもあまり知られていない。この時のクリスマス休暇以来、私はパリでも熱心に彼女の絵本を探すようになった。たまに古書市で見かけることもあったが、状態の良い本にはなかなか出会えず、本としての評価も総じて低かったように思う。反対にベルギーやオランダには、エブリンクの本を愛する熱烈なコレクターが大勢いて、古書市場でも状態の良い本には高値が付く。エブリンクはフランドルの画家であるから、土地の人々に愛されるのは当然だろう。一度だけ、エリーとその話題に触れた時に、" ほとんどのフランス人の日常からは、もう信仰という灯は消えてしまった " と語っていたのが印象的だった。実際に、パリに長く暮らした私の周辺でも、生まれた子供に洗礼を受けさせる人も、結婚式を教会で行う人もいなかった。家にはクリスマスツリーを飾っても、家族や夫婦で深夜のクリスマスのミサに参列する人にも出会ったことはなかったのである。



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  祈りに、宗教や民族の違いは関係ないと思っている。祈りとは「心の声」であり、その表現方法が、国や地域で様々に異なるだけのような気がするからだ。祈りの先にあるものは、誰にも等しく同じであるはずではないだろうか...

  2024年は、多くの日本人が祈りを捧げることから始まった。そして、その祈りは今も続いている。

# by syokanosyuhen910 | 2024-01-30 16:00 | 本とその周辺の話し | Comments(2)




霧に抱かれる湖畔の教会       - 3 -_b0427959_12284622.png
 

 
 「ボンソワール、ムッシュー。寒い中、ようこそおいで下さいました。マダムが、昨日のお話の方だとすぐにわかりました。」

そう言うと、ギャラリーの主はドミニクに右手を差し出した。

 「昨日...? 昨日って、どうゆうこと...? 」

すぐに状況を読めずに困惑していた私は、何度も、ふたりに交互に視線を送ってからドミニクにたずねた。彼は黙ったまま微笑を浮かべるだけで、私の質問には答えない。" あゝ、何かある... " こうゆう時の彼の微笑は独特で、わずかに顎をしゃくり、かたちの良い薄い唇の右の口角が上がるのである。説明を求める私の視線を無視するかのように、目を細めて真っ直ぐに絵を見つめるだけの彼に、私は多少の苛立ちを感じ始めていた。それを察したのか、ギャラリーの主人が彼に代わって言葉を続けた。

 「実は、先ほど伺ったお話の概要は、昨日お連れさまからお聞きしていたのです。貴方が絵の前に立たれた瞬間に、この絵との再会を約束されていた人が貴方であると確信しました。経緯を伺っていたとは言え、あらためて、こうしてご本人の口から直接お聞きするストーリーに、私はすっかり魅了されていました。どうか、失礼をお許しください。例え昨日の一件がなかったとしても、貴方が何かの縁でこの絵と繋がっている方であることは、私の目には明らかでした。どんな絵にも、その絵と運命的に結び付けられた人が必ず存在すると、私は考えています。それは、画家の知名度や作品の市場価値とは全く関係のないところで生まれる繋がりで、我々の想像を超えたところで起こる現象のようなものかもしれません。芸術が持つ「力」と言っても良いかもしれませんね。長年絵画を扱っていて言えることは、一生の間に、出会うべくして定められた絵に巡り合える人は、残念ながら実際にはごく僅かだということです。出会っていても気づかずに機会を逃してしまえば、普通は、もう2度と巡り合うことはありません。ギャラリーは、ひとつでも多くのそうした縁をお繋ぎするためにあるものです。マダム、お連れさまがおっしゃる通りですよ。奇跡が2度起こることはないでしょう。」



 クリスマス前のモンパルナス大通りの華やかさは、冬のパリの風物詩のひとつでもある。ベル・エポック時代からの有名ブラッスリーがいくつも集まるヴァヴァン界隈の賑わいとイルミネーションの美しさは、左岸を愛するパリジャン達の自慢の一画だ。ノリの効いた真っ白いクロスのかかったテーブルに案内され、食前酒を飲みながらメニューを開いて、何を注文しようかと迷う時ほど楽しいことはない。と言っても、冬場の「ル・ドーム」に予約を入れる目的は、何をおいても生牡蠣を思い切り楽しむことに尽きる。私もドミニクも、肉厚で白い脂肪部分が大きい種類は苦手だった。純粋に好みの問題だが、フランス人は総じて、身が薄くて塩味のややキツいフィーヌ・ド・クレールを好む傾向があるように思う。クレールの場合は特に、牡蠣の身と一緒にすする汁がとびきり美味なのである。彼らはこれをジュ(ジュース)と呼んでレモンを絞るのが一般的だが、私たちはふたりとも、何も加えずにナチュール(自然のまま)で味わうのを好んだ。

 牡蠣が供されるのを待つ間も、私は足元に置いた絵の包みに何度も手をかけた。大きな荷物はクロークへ預けるべきで、テーブル席まで持ち込むのは無粋な行為であるとは承知していたが、この夜は、食事の間さえも絵と離れていたくなかった。ギャラリーの主人の言葉は、サロン会場を後にしてからも、旋律のように繰り返し私の内で鳴り続けていた。彼の言葉を借りれば、遠い異国から来た私と、ヨーロッパの教会を描いたこの風景画が運命的に結びつけられているという。
 
 「店主の言葉が頭から離れないの。今までそんな風に絵と向き合ったことなんてなかったから。貴方は、彼の話をどう思ったのかしら ?」

 「彼は画商として、数えきれないほどの絵を売ってきた人だからね。彼の言うところの縁で結ばれているのは「一枚の絵」と「ある個人」であって、彼はあくまでも第三者としてその結びつきの外に身を置いているからこそ、売買の経験から見えてくるものがあるというのは本当だろうね。ただ、絵を購入した当事者が、それを実体験として認識するという例は稀なような気がするけれど。いちばん大切なことは、感情を揺さぶられる絵との出会いであって、結果的にその出会いを運命的なものと感じるかどうかは当事者次第だと思う。この絵との結びつきを感じている ?」

 「そうね、結びついているかどうかを判断するのは他人なのかもしれない...。私の場合はっきり言えることは、この絵を初めてみたあの日から、私は何年もの間、ずっと絵に思いを寄せてきたということね。ドミニク、ひとつだけ付け加えておきたいことがあるの。彼も貴方も、奇跡は2度は起こらないと言ったけれど、それは違うわ。奇跡は4度起きたのよ。最初の奇跡は、ヴァンヴーの蚤の市で、私が冬の教会の絵に出会ったこと。これがこの物語の始まりね。2度目の奇跡は、画家が夏の教会を描いていたこと。3度目の奇跡は、冬の絵を見ていない貴方が夏の絵に出会って、それが、私が何年も忘れられない絵だと確信したこと。確かに私は何度も絵のことを貴方に話したけれど、貴方はあの絵を見ていないのよ、それなのに信じられないわ。そして最後の奇跡は、その絵が、今ここにあることなの。」 

 「昨日絵の前に立った時、まさかとは思ったけれど、確信するまでには至らなかった。」

ドミニクはそう言うと私の手をとり、4つ折りになった紙片を掌に乗せると、その上から彼の大きな手をそっと重ねた。紙片を開くと、それは数年前に私が描いた冬の絵のスケッチだった。蚤の市で絵を見た日の夜、私は夢中で彼に絵の話しをした。何としても、彼に絵の雰囲気を伝えたくて、アトリエの色鉛筆を使って彩色までしたのだった。日頃から頻繁に絵画サロンを訪れ、オークション会社から届く目録を見る機会も多い彼なら、いつか、私があきらめた絵に出会うこともあるかもしれないと冗談半分に考えて、丸めたスケッチを彼の上着の内ポケットに突っ込んだことを思い出した。

 「運命的に結び付けられているのは、むしろ僕達ふたりじゃないのかな... 。」


 
 先日、全く偶然に、テレビのニュースで絵の舞台になった街の名前を知った時、いちばん先に思い浮かんだのはドミニクのことだった。絵を購入してから、私たちはかなり熱心にその街を探してきた。いつか二人で一緒に、教会の建つ水辺を歩きたいというのが私たちの願いだったからだ。しかし、低く垂れ込める雲と霧の帯に絵の背景が完全に包み隠されてしまっているせいで、ヨーロッパの街をよく知る彼でさえ場所を特定することは出来なかった。この水辺がどこかの港町なのか、河や運河、あるいは湖の河岸なのか、それさえも私たちの想像の域を出ることはなかったのである。あの夜から2年後、私たちはページをめくった。ページをめくるとは、大きな犠牲や心の痛みを伴っても、長い人生の中でどうしても避けて通れない決断をするという、フランス語の表現である。彼は今も、この絵に思いを馳せることがあるだろうか...あの晩の、ドームでの会話を思い出すことがあるだろうか...。霧に抱かれた教会が、世界遺産の街ハルシュタットの湖畔にあることを、今では彼も知っているだろうか...。この美しい街を、私が訪れることは恐らくないだろうが、彼の記憶の片隅にこの一枚の絵がある限り、二人の結びつきは絵の中で生きている。

 

 

 



 

 





# by syokanosyuhen910 | 2024-01-02 18:53 | 一枚の絵 | Comments(5)

霧に抱かれる湖畔の教会      - 2-_b0427959_14593685.png
 


 その日、ドミニクは約束の時間よりもかなり早く私を迎えにきた。私の日本への一時帰国が迫っている頃だったので、12月の10日前後だったと思う。出発前に、モンパルナス大通りにある海鮮で有名なブラッスリーで生牡蠣を食べるのが、いつの間にか、クリスマスも新年も一緒に過ごせない私たちにとって、一年の最後にふたりで過ごす大切な習慣になっていた。予約は午後8時半だったので、それまでにはたっぷり3時間以上も余裕がある。そんな時私はいつも、まず彼に熱いほうじ茶を振る舞い、予約の時間までアトリエで制作中の本を見せたり、届いたばかりの古書オークションのカタログを一緒に見たりしてから出かけることが多かった。早めに出てパリ市内の公園を散歩することもあったし、古書店を訪ねた後にレストランへ向かうこともあった。この日、彼は玄関口に立ったまま靴を脱ごうともせずに、制作中の本に支障がなければすぐに出かけようと言うので、私は急いでマントーを羽織ると、もう階段を降り始めている彼の後ろ姿を追った。

 絵画サロンは、エッフェル塔の真下に位置するセーヌ河岸に設置された、仮設のテント会場で開催されていた。仮設といってもかなり立派なもので、こうしたサロンでは、メディアを招待したオープニングパーティなども派手に行われるケースが増えている。12月の午後5時過ぎといえば、パリでももう外は真っ暗だ。その日は小雨まじりの寒い夕方で、さすがに河岸を散歩する観光客の姿もまばらだったが、会場内は結構賑わっていて少し暑いくらいだった。私たちはすぐにマントーを脱ぐとそれをクロークに預け、付かず離れずの距離を保ちながら一軒ずつギャラリーを見て回った。古書やアート関連のサロンにはよく一緒に出かけたので、互いの関心のある分野や好み、見方、時間配分や歩くペースまでも手に取るように分かっている。感覚を同じくする人と連れ立ってサロンや展覧会へ行くのは楽しく、とても豊かな時間である。ドミニクとは、相手を束縛することも自分がされることもなく、いつも自由に別々に会場内を回ったが、不思議と心を捉えられた本や絵の前では、大抵の場合ふたりが一緒に足を止めることが多かった。

 入り口から順番に、左右両側のギャラリーへ気ままに出入りしながら会場の中ほどまで来た時、不意に誰かに声をかけられたような気がして、私はある画商のスタンドの前で立ち止まった。その声に引き寄せられるかのように中へ入ると、少し奥まったコーナーの突き当たりで、絵は私を待っていた。私は一瞬自分の目を疑ったが、その絵は間違いなく、以前に購入をあきらめてからも忘れられなかった、あの絵なのであった。それが、あの水辺の教会の夏の姿を描いた絵であることに疑いの余地はなかった。油彩画は一点物なので、一度機会を逃せば、もう2度と出会うことはない。美術館に入るような名画なら、例え個人の所蔵であっても、ほとんどの場合絵の所在は把握されている。有名画廊やオークション会社に声をかけておけば、絵が売りに出される時には情報をもらうことが出来る。しかしどんなにいい絵でも、専門家による鑑定で、記された署名から画家の名前とデータを割り出すことが出来なければ、出会ったその時に手に入れない限り、以後その絵がどんな経緯で誰の手元へ渡ったかを知る術はないのである。


絵の前から離れようとしない私に、画廊の主人が話しかけてきた。

 「この絵がお好きですか ? 」

 「ムッシュー、今日この絵と再会できた喜びで、胸がいっぱいなんです。」

私は主人に、数年前のヴァンブーの蚤の市での出来事を語った。

 「ほう、それは珍しい体験をされましたね。少なくとも貴方のおかげで、画家がこの同じ場所で、冬と夏の風景を描いたということが分かっただけでも有意義です。風景を好んで描く画家の中には、同じ場所の絵を何枚も描く人がいるのです。彼らは、季節ごとに変わる光の色に魅せられるからでしょう。」

それは主人の言う通りだと思った。クロード・モネは、ジヴェルニーの池の睡蓮を生涯に渡って描き続けた。季節どころか一日のうちでも、朝と夕方、午前と午後では、池の水の色も光を浴びた植物の姿も違って見える。私がモネの家を訪れたのは、ある初夏の日の昼過ぎだったが、庭園を散策している間にも、ノルマンディーの変わりやすい天気でクルクルと表情を変える池の様子に驚嘆したことを憶えている。彼の話を聞きながら、そう言えばさらに、親友のジャクリーヌさんの寝室にあった2枚の油彩画のことが脳裏に浮かんだ。それはオンフレールの港を描いた同じ構図の点描画だったが、春と秋の光に反射してキラキラと揺れる海面の波頭が、まるで違う絵のような印象をたたえていて、ジャクリーヌさんのコレクションの中でも、とりわけ私の心を捉えた一対の油彩画だった。



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 「1940年から50年頃の作品でしょう。おそらく、エコール・ド・スイスの画家の手によるものと思われます。我々も手を尽くして調べましたが、残念ながら、署名から描き手を特定することはできませんでした。主張し過ぎない個性が、逆に忘れがたい余韻を残すいい絵だと思います。お連れになりますか ? 」

と言うと、店主は穏やかな笑顔を私に向けた。心中の興奮はクライマックスに達していて、まるで極上のシャンパンを飲んだ後のような高揚感に私は包まれていたが、手元のリストに記された価格は、その酔いを冷ますのに十分なものだった。当然のことながら、数年前の蚤の市で、プラタナスの根元に無造作に置かれていた冬景色のあの絵の価格とは、比較にならないほど高価だったからである。躊躇することなく小切手を切ったと言ったのは、あくまでも感情的にであって、実際に私がこの絵を連れて帰ることは、あまりにも現実からかけ離れた分不相応な買い物であることは目に見えていた。しかも、私は日本への一時帰国を間近に控えていた。毎年、帰国のために1ヶ月間制作を中断すると、パリへ戻った翌日から制作を再開しても、作品を仕上げるリズムを取り戻すのに2ヶ月以上の時間が必要だったからである。定期収入のない新人の製本作家にとって、無収入で3ヶ月を持ち堪えるのは本当に厳しかった。地下鉄の回数券が買えずに、真冬のパリ市内を徒歩で移動したことも何回もあった。たった1度きりとはいえ、マルシェの後に業者が廃棄したクズ野菜を拾ったこともある。絵を購入するには、わずかな蓄えを全部充てて、高い代償を払う覚悟を決めなくてはならなかった。

 「買わないつもり ? 今買わなければ、一生後悔することになるのはわかっているでしょう ? 奇跡は、2度は起こらないよ。」

振り返ると、ドミニクが私の背後から、じっと絵を見つめていた。



                              - 続く -





 

# by syokanosyuhen910 | 2023-11-20 22:00 | 一枚の絵 | Comments(4)

霧に抱かれる湖畔の教会       - 1 -_b0427959_15574433.png

 
ここは、いったいどこなのだろう...どこに行けばこの風景に出会えるのだろう...

この光景にほとんど憑かれていたと言っていいほど、私には絵の舞台になった場所を特定することに夢中だった時期がある。霧が降りる神秘的な水辺の教会を探し求め、15、6年の間折に触れてヨーロッパの都市を彷徨い、絵に触れる情報はないものかと美術館や絵画サロンをまわり、書店の美術書のコーナーに座り込んで午後の大半の時間を過ごしてしまうことも度々あった。さらに2年半前に長く住んだパリから日本へ帰国してからは、この場所への郷愁にも似た思いは募る一方だった。絵の舞台であるヨーロッパから離れたことで、いっそう感傷的になっていたことは否めない。心の旅は続いてはいたものの、それは終着駅のない虚しい放浪に過ぎなかった。ところが、一枚の絵をめぐるセンチメンタルな私の旅は、先日あまりにもあっけなく幕を下ろしたのである。

 昼食をとりながら、その日めずらしくテレビのニュースをかけていた私の耳に届いたのは、ヨーロッパの世界遺産の小さな町がオーバーツーリズムに揺れているというものだった。最近ではヨーロッパに限らず、世界中の風光明媚な都市や地域が巨大なツーリズムの波に呑み込まれているという話題はさして珍しくもない。あゝ、またか...と特に注意をひかれたわけでもなかったのが、次の瞬間、私の目は画面に釘付けになった。

 まさか...。でも、ここだ...この場所に間違いない。

 町の名前はハルシュタット。映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台にもなった、オーストリアの景勝地ザルツカンマーグート地方のなかでもとびきり美しい町で、その佇まいは真珠にも例えられるという。


 私がこの油彩画を購入したのは、おそらく2007年か2008年のことだ。運命的なものを感じた私は、迷わずにその場で小切手を切った。この機会を逃せば、もう2度と絵に出会えることはないとわかっていたからである。奇跡は2度起こらない。その冬の午後、エッフェル塔に近いセーヌ河岸の会場で開催されていた絵画サロンを訪れた私が、そこでこの油彩画に再会できたことは奇跡だった。再会と呼ぶのは、実は私はそれより数年前にすでにこの絵と出会っていたからである。ただし、絵は同じ場所の冬の光景を描いたものだった。毎週末に開かれるパリ14区のヴァンヴの蚤の市で、その絵はプラタナスの木の根元に置かれていた。心を奪われる絵との出会いはいつも同じだ。絵は、それが定められていたかのように、自然と私の目に飛び込んでくる。私の場合、決して探し求めて出会えるというものではない。その絵は、紅と灰色のグラデーション、そして黒と白の色調で冬の嵐を予感させる光景を描いたものだった。巨大な霧の帯が、教会の立つ水辺に降りようとしていた。背景に何があるのか、夜と霧が入り乱れて荒れた空からは窺い知ることはできなかったが、教会の尖塔は凛とした姿で霧に抱かれようとしていた。右側の外灯には、ぼんやりと明かりが灯っていたように記憶している。

「この絵はおいくらですか」

「それは売り物じゃないよ」

と、店主は愛想のかけらもない様子でぶっきらぼうに答えた。ヴァンヴでは見かけない顔だったので、地方からたまたま1回限りでその日の市に出店した業者なのかもしれなかった。自宅からヴァンブまでは近かったこともあり、ほぼ毎週のように、朝の散歩がてら蚤の市へ通っていた私が1度も見たことのないスタンドだった。最終的に、あきらめずに食い下がる私に店主が出してよこした値段は、とても私に手が出せるものではなかった。絵はあきらめるより他になかった。後味の悪い思いをしてその日曜日は台無しになったが、その後もその油彩画を忘れることはできず、そこに描かれていた風景は私の記憶の箱へと大切に仕舞い込まれたのだった。



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                              - 続く -






# by syokanosyuhen910 | 2023-10-09 16:42 | 一枚の絵 | Comments(0)

マリー・ローランサンという憂鬱     - 3 -_b0427959_11093811.png


 「艶なる宴」を託された私は5ヶ月前と同じように、H氏のオフィスビルを出ると、サン・マルタン運河沿いの遊歩道を歩いた。いつもは観光客で溢れかえる河岸の遊歩道も、午前中の早い時間にはまだ人も少なく、運河沿いに暮らす人たちが犬を連れてのんびりと散歩していたり、ジョギングをする姿を見かけるくらいだ。観光都市の顔になる前に街が見せる化粧っ気のない素顔のままのパリには、私が移住前に何度も東京とパリを往復していても見えてこなかった時間が流れている。それは、日々の暮らしに組み込まれてみてはじめて分かる、その土地の時間軸に沿って生きるという実感なのかもしれない。運河の両側に連なるカフェのテラスは、クレーム(カフェ・オ・レ)とタルティーヌやクロワッサンの朝食をとりながら新聞や雑誌を読む人で賑わっていた。その日、私は朝食をとらずに家を出たこともあって急に空腹感を覚え、河岸を降りると目の前のカフェのテラス席に腰を下ろした。1日は始まったばかりだというのに、既に疲労感でいっぱいだった。とりあえず熱いクレームを啜りながら一息つくと、H氏とのやり取りの一部始終を思い返して激しい自己嫌悪に襲われた。前回、ローランサンの絵には魅力を感じないという自分の正直な気持ちを伝えずに本を預かったことで、私はH氏と自分の両方に嘘をついた。その結果、制作は困難を極め、体力と気力を消耗して時間も材料も無駄にするという代償を払うことになったのだった。ローランサンの挿絵本は、もう2度と手がけたくないと思った。仕上がった作品が決して自信作と言えるものではなかったことから、H氏という顧客を失う覚悟だったにも関わらず、彼から思いがけない称賛の言葉をかけてもらったことで困惑した。ともかく作品を納めれば、このエピソードに終止符を打てると思い込んでいたのが、不意を突かれるかたちで再びローランサンの本を目の前に出されて、動揺したのである。

 「これからも貴方にお願いしたい本は、まだまだあります。貴方は、ありのままの貴方で本と向き合って下さい。作品は、自ずから生まれてくるはずです」

 2冊目のローランサンの本を預かったことで、私にはもう、今後どのような言い訳をする余地も残されていなかった。最後はなかば開き直るような傲慢さで本を仕上げた私には、H氏の笑顔と評価を受け止める資格はないように思えたが、真摯に本と向き合うこと以外に、彼の期待に応える術はなかった。

 

 2008年に納めた最後の作品まで、私は実に44冊の本をH氏のために装幀した。その中に、ローランサンの本は7冊ある。1冊目の本より、2冊目の本の制作は順調に運んだ。3冊目以降は、日本人の私がローランサンの本を装幀する以上、何か特別なものを生み出さなくてはならないというようなプレッシャーを感じることも次第になくなっていった。それでも、毎回H氏に作品を納める日の前日になると、またローランサンの本を頼まれるかもしれないという不安で憂鬱な気分になるのだった。ローランサン以外にも、私はH氏の、ベルナール・ビュッフェやFUJITAが挿絵を手がけた本も装幀した。いずれの場合も、決して自分から好んで手がけたいという本ではなかったが、与えられた全ての本に対して誠実に向き合ってきたつもりだ。ただ、最初に自分の気持ちを正直に伝えずに、H氏の大切なローランサンの本に手をかけたという後ろめたさは、最後まで私の中で燻り続けた。



マリー・ローランサンという憂鬱     - 3 -_b0427959_11111160.png


 私の21年間の作家人生で、これほどの数の本を一個人のために制作したことはない。2007年以降、H氏は次第に現役コレクターとして表舞台から退いていったが、私のいちばん不安定で苦しかった駆け出しの時代は、H氏によって支えられた。ルリユールの作家が、注文による一点ものの作品の制作だけで生きるのはとても難しい。作品が人の目に触れ、評判が立つまでには長い時間がかかる。まして、注文は安定して供給されるものではない。プロトタイプによる制作を行わない作家が、一年に手がけられる本の数には限界がある。制作のストレスやプレッシャーに加えて不安定な生活が重なれば、作家は精神的にも追い詰められてゆく。作家にとって、特に早い時期から定期的に制作を依頼してくれるコレクターと出会えるかどうかは、その後の作家人生を左右すると言われるのはそのためである。H氏に出会えなければ、私のフランス移住は早々に幕を下ろしていただろう。私が挿絵本を多く手がけたのはこの時期までで、以降はテキストのみの本や資料文献を専門に装幀するようになった。


 最後にH氏に会ったのは、パリの老舗の古書店での2回目の個展の準備に追われていた、2017年の初秋のことだ。健康状態が優れず、滅多に外出することもないらしいという噂は作家仲間の間でも囁かれていた。私も毎年新年の挨拶状を送るだけで、H氏と再会する機会を得られずにいた。2回目の個展は、主に2010年以降に制作した作品を展示するために企画されたものだったが、私はどうしても、2007年と2008年に制作した彼の最後の3冊の本を個展目録に加えたかった。そのうちの1冊は、7冊目のローランサンの本である。展覧会目録に掲載されることで、将来本がオークションで売買される時に、本の落札価格が違ってくることもあるからである。それは私にできる、せめてものH氏への感謝のしるしだった。

 
 パリ16区のフォッシュ通りにある豪壮なアパルトマンの玄関で、H氏は以前と変わらない上品なスーツ姿で、愛犬のパピヨンを抱いて私を出迎えてくれた。少し痩せてほっそりしたH氏が、手入れの行き届いた美しい毛並みのパピヨンを膝にのせて、絹張りの肘掛け椅子に長い足を組んで座る姿は、ヨーロッパの居城の大広間でよく見る肖像画のモデルのようだった。夫人が長い闘病生活の後間もなく亡くなったと聞いてからすでに何年も経っていて、さすがに事業からも退いてはいたが、彼の佇まいや立ち振る舞いの美しさは10年前と全く変わらず、私はこみ上げてくる感情を抑えきれずにいた。

 「お目にかかれて、嬉しいです」

と言うのが精一杯で、それ以上は言葉にならなかった。

 「残念ながら会場には伺えないと思いますが、目録を拝見するのを楽しみにしています。立派な装幀作家に成長されましたね。個展の成功を祈っていますよ」

 「展示が終わりましたら、本をお返しに上がります。またお会いできますよね。どうしてもお伝えしたいことがあるのです」

 3冊の本を預かって外へ出ると、ブーローニュの森の向こうに沈んでゆく太陽が、パリの空を薄紫色に染め上げていた。それはパリの街に、間もなく本格的な秋が訪れることを予感させる空なのだった。 
 


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再会は叶わなかった。フランスがコロナ禍の最中で、人々が不自由な生活を強いられていた2020年の秋にH氏が亡くなっていたことを私が知ったのは、日本への帰国が迫った翌年の初めのことだ。その後、H氏が生涯に渡って蒐集した膨大な数の本は、2021年にパリで行われた3回のオークションで、次の持ち主の元へと旅立って行った。所有者が変われば、そこでまた新しい物語が生まれる。いつの時代も、人は書物に様々な思いを託してきた。人の命は儚いが、彼らが確かに存在したという証は、書物を通した記憶として生き続けるものである。






 









# by syokanosyuhen910 | 2023-08-27 14:05 | ルリユール ( 製本装幀 ) | Comments(0)

2021年4月、製本装幀家として暮らしたパリから金沢 へ。 金沢町屋にひっそりと開業した古書ギャラリー " 書架の周辺 " から、フランスの本と本の世界で出会 った人たち、製本装幀家として生きた現地での日々を綴ります。

by 書架の周辺
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